受験生だった頃のことを思い出した。
センター試験を終えたその足で本屋に行ったこと。
そこで、一冊の本を購入したこと。
その本は世界の絶景を収めた写真集だった。
ヤンゴンの宿である写真を見たとき、当時の思い出と共に心惹かれた一枚の写真が脳に蘇る。
それがミャンマーにあるゴールデン・ロックだった。
振り返れば、受験生の時分には既に旅することを夢見ていたのだ。
ご褒美とやる気維持のために買った写真集を眺めながら、いつか旅することを夢見ていた。
ゴールデン・ロックは、チャイティーヨ・パゴダという名の寺院にある。
ヤンゴンからバスで東へ4時間、さらにバスを乗り越えて標高1000m以上へ登っていく。
ミャンマーを走るバスは、その多くが日本からの中古車だ。車体には日本で活躍していた当時の名前がそのまま入っている。
例えば、「札幌観光」「くろべ」。車内の注意書きも日本語のままなのだから、ちぐはぐな様子がまたどこか面白い。
山の上から見下ろすミャンマーの大地は、思わず、息を呑むほどに美しかった。
なにせ周囲は山。町という町もなく、雄大な自然が広がる光景はそれだけで神秘的な雰囲気を匂わせる。
パゴダは広く、また多くの信徒で賑わいを見せている。
(とは言っても、みんな木陰か建物の中に入って暑さをやり過ごしているので写真には写っていないけれど)
お土産屋の店先には野良猫も。随分と小綺麗なことから、あるいは飼い猫なのかもしれない。
猫にしてみても快適な住処になりうるのだろう。なんたって、これからお参りをしようという人たちがわざわざ無下に扱うことはないのだから。
ゴールデン・ロックは、今にも落ちそうに見える非常に大きな岩だ。
表面には信者の寄進によって集められたと思われる金箔が貼られており、その作業は日々行われている。
下部は足場を組んで下から貼るのだとか。
近くで見ると、確かに落ちそう。絶妙なバランスなのかと思いきや、そういう訳ではないらしい。
釈迦の遺髪(の霊力)によって落ちないでいると言われている。
かつてはバスもなければ道も整備されていなかった時代に、どのように作られたのか、そして以来ずっと保たれているその姿を見ると科学的な目線はここでは不要に思えた。
夕日を浴びるゴールデン・ロックは一際美しい。
これがずっと見たかった景色なのだと思うにつれ、不思議な高揚感と静かな達成感が全身に満ちてくる。
自然に囲まれた中にポツンと光るその姿は、どこか寂しげな雰囲気が漂うように思えるのは僕だけだろうか。
だけど、それもまた魅力の一つなのかもしれない。
辺りには信者のお経、家族やグループの団欒の声、それらだけが響いている。
今までの旅の中でも、最も美しい場所の一つだ。
チャイティーヨ・パゴダが、ゴールデン・ロックがミャンマーの人たちにとって大切な場所だということが分かる。
実際にゴールデン・ロックに触れることはできる。ただし男性に限られる。
昔からの宗教的な理由(と思われる)によって、女性はある程度まで近づくことができるのみだ。
触れられるエリアにはカメラや携帯などを持ち込むことができないので、残念ながら写真はないのだけど
目の前に佇むゴールデン・ロックの迫力たるや。
これをただの岩だと言い切ることもできるけれど、11世紀から人々の信仰と想いを受け止めてきたパワーが込もっている。
その事実と、周囲の空気が余計に「すごさ」を強調している。
朝はゴールデン・ロックと反対側から日の出を。
何を隠そう、この日は僕の誕生日。
もう殊更特別と感じることはないけれど、それでもここで迎えられたことは素直に嬉しく思う。
受験期から焦がれた場所に、今こうして足を踏み入れて、一つ年を重ねる。
それ自体は特に意味もないし、たまたま偶然というやつ。
僕はきっとこれからも旅をするし、こうやって生きていくだろう。
かつての自分に、やって来たぜと呟きながら。