旅は静かに日常に溶けていって【ミャンマー】

ミャンマー第二の都市、マンダレーへ。

ヤンゴンからおよそ15時間の列車の旅。列車は好きだ。

程よい揺れと、気持ちのいい風。流れる風景。

連結部で吸うタバコのうまさ。食堂車で飲むミャンマーミルクティー、ラパイェ。

同室の旅行者と話して過ごす車内、停車中には物売りの少年少女とやり取りする。

バスや飛行機に比べれば時間はかかるけれど、コンデンス・ミルクたっぷりのラパイェの如くロマンに溢れている(例え決して乗り心地がよくなかったり、ベッドのシーツが汚れていたとしてもだ)。

 

 

薄らと空が白み始めた頃、目を覚ます。

外の空気を吸い込みながら、ヤンゴンから離れたことを実感する。

 

マンダレーはヤンゴンと比べれば静かだ。道は歩きやすいし、人もさほど多くない。

ついつい長居をしてしまうのも仕方のないことなのである。結局10泊してしまったのも、仕方ないのだ。

その間に何をしていたのかなんて野暮なことはどうか聞かないで欲しい。

マンダレーを振り返ってみても、とてもじゃないが自信を持って旅ブログとして紹介できることは少ないのだから。というか、多分ない。

なにせ一番有名な王宮は外から眺めただけ、ミャンマー仏教の重要地マハムニ・パゴダは訪れてすらいないという有様である。

 

さて、実際の活動内容は以下の通りである。

飯を食べて、外を歩いて、ビールやウィスキーを飲んで暑い昼間をやり過ごして、ちょっと気になった映画を観てみたり、知り合ったミャンマー人の大学へ遊びに行ってみたり、チャンピオンズリーグをミャンマー人と一緒にローカル・カフェで観戦してみたり、一緒にクラブに行ってみたり・・・。

マンダレーでしていたことは、マンダレーとそこに住む人々との境界線へと限りなく近づこうとする一種の抵抗なのではないだろうか。

僕らはいつだって、どこへ行ったってそこにあるコミュニティとは厳格に区別されている。

あるいは、どれだけビルマ語を話したとしても、現地の友人を作ろうとも、長期で滞在していようとも、それは適用されるのだ。

特に旅人は、その土地へおじゃましているだけの人。大局的に言えば客人である。(ミクロで言えば望まれているかは分からないので客とすら呼べないかもしれない)

どこかからやって来て、消費して、去っていく。そこに求められているのは外貨であったりする場合が多い。

そうであるならば、僕らは分かり合う必要すらなくなる。勝手に抱いたミャンマー像を静かに持ち去って胸の奥に仕舞ってさえすればいいのだ。

 

マンダレーと異邦人の間にある垣根は、僕にとって越えたいと想い願うこれまででも数少ない垣根だった。

道も覚えた。

馴染みの店もできた。

たくさんの友人もできた。

少しずつ言葉も覚えた。

一緒にビールを数え切れないほど飲んだ。

多くのことを話した、笑った。

夜中にバイクで街を走った。

酔いつぶれた友人を介抱した。

 

好きなことが増えていって、できることを増やしていくうちにいつしか10日以上を、観光することもなく過ごしていた。

だけど、マンダレーと僕との関係においては一番いい方法だったように思う。

決して越えることはできないけれど、越えようと試みることで多くを知ることができる。

分かったことは、まだまだミャンマー人やマンダレーのことは分からないということ。

分からないけれど、だからこそ、また来ようと思っていること。

それと・・・酔っ払うと写真撮る機会を失うということ。(全然写真がなかった)

 

今年の10月から、日本人はビザなしでミャンマーに入国できるようになるのだとか。

機会があれば、ぜひ一度訪れてみて欲しい。きっと、気に入ってくれると思う。

もちろん、いいことしかない、なんてことはないけれどね。

 

 

 

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