どこまでいっても異邦人【コラム】

(2011/01/01 エジプト、シナイ山からみた初日の出)

 

僕らはどんなに長い期間滞在していても、どんなに現地の友達を作っても、どんなに同じ言葉を喋っても旅人だ。

だけど、異邦人の枠組みの中に限り、今いる世界との境界へどこまでも近づくことはできる。

そうした時に得られる自己の消失と再発見(て言うとちょっと大げさかな)が、人を旅人足らしめるし旅の醍醐味の一つだと思う。

 

旅人には大きく分けて2種類いる。ひとつは観光を主な目的として移動していくタイプ。もうひとつはその段階を過ぎ去り移動あるいは旅をすることそのものが目的であるタイプ。

前者は旅に出てから日がまだ浅く、どこへ行っても何をしてもただただ楽しくて仕方ない。もうみんな大好き、人生最高みたいな。

後者は日数を重ねている人に多い。

自身がそうだったから分かるけれど、沢木耕太郎の言葉を借りるなら「好奇心が摩耗する」のだ。

最初のうちはあらゆることへの出会いが新鮮で楽しくて仕方ないのだけれど、それが続くにつれて少しずつ感動は薄れ外界への興味を失ってしまう。

観光どーしようかなぁ・・・行きたくなった時また来ればいいのだ、となる。(大抵はその時が訪れることはないけれどね)

 

どちらのタイプであっても、あるいはそうでなくても、旅人を放棄はしない。それはつまり、冒頭で述べたように今いる土地や人に融け込もうとする姿勢を崩さない限りは。

異邦人である以上決して分かり合えない、理解できないからこそきっと僕らは自分のフィルターを通して世界を見ようとするのだ。

だから旅は人の数だけ存在する。それが旅のいいところ。みんなが世界で一番良い旅をできてるってことだから。

 

まぁでも、一度くらいは有名な観光地に足を向けてみるのがいいと思うよ。

次に行こうと思ったらもうないとか、工事中とか、そもそも国に入れないだとかの行けないケースもあるからね。

と自分に言い聞かせながら・・・。

 

今日も良い旅を!

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